30 years' holiday

ああ、30代諸兄の休日よ・・・

「戦後70年」が盛り上がってきているけれど、いつまで「戦後」が続くのかという話

昨日テレビを見ていたら「戦後70年」の特集番組をやっていた。

ファシリテーター池上彰さんが最後にコメントした「戦後80年、90年、100年と、ずっと“戦後”と言い続けられるように」という言葉からこのブログを書いている。

 

最近よく「もはや戦前」というような話を耳にするが、今が戦前だとしたら、戦前何年にあたるのだろうか。

5年か、10年か、それとも1、2年という可能性もあるのか。

 

今日、太平洋戦争中に広島・長崎両方への原爆投下機に搭乗した方の孫として知られるAri Beserさんと会い、「平和をつくるために必要なものは何だと思うか」という旨の質問を受けた。

Ariさんは現在、ナショナル・ジオグラフィック誌の寄稿のため日本に来て取材活動を重ねている。

広島・長崎と、福島での取材を通じて、上記の答えを導き出していきたいのだそうだ。

 

私自身、長崎にいた高校時代に、被爆者の声を世界に届けるための活動を始めたが、関東の大学に進学して多様なバックグラウンドを持つ人々の中に入っていったことで、ストレートな主張だけでは世の中に対して無力であることを知った。

ストレートな主張は、その主張が心地いい人の間でしか浸透していかないから、世の中を動かす声には、残念ながらなりえない。

それでは目的が達成できない。

 

それから私は、I LOVE CAMPAIGNNagasaki Archiveなど、より身近に、そしてよりフラットに「平和」を考えられる機会をつくることに取り組んできた。

 

だから、私からの上述のAriさんの質問に対する回答は「マスにとっての自分ごと化すること」だった。

 

とは言っても、「マス」の一言には無数の属性を持った人たちが含まれている。

そんな「マス」に対して、それぞれの興味範囲に合わせたかたちで「戦後70年」を調理して届けることはできないだろうか。

そう考えて今年立ち上げたのが70seedsだった。

 

「戦後70年の"知らなかった"と出会う」をコンセプトにしたこのメディアでは、アメ横の闇市時代の話を紹介したり、琉球ガラスの意外な由来を紹介したり、などの記事を配信している。

 

試行錯誤しながら進めてきたこのメディアも、気づけば記事数は50を超え、数万人が訪れてくれるサイトに育ってきた。

記事によっては数百から1000を超える「いいね!」がついているものもある。

夏に向けて「戦後70年」が盛り上がっていく中、70seedsにしかできないことと、70seedsにしか届けられない相手に届けることにこだわって着実に歩を進めていきたい。

 

いずれ、「戦後100年」をあたりまえのように迎えられるように。