30 years' holiday

ああ、30代諸兄の休日よ・・・

長崎生まれの私が訪れた真冬の富山はこんなにも長崎だった

この2日間、富山を訪れていました。

 

結論から言うと、

 

「富山は最高!そしてとても長崎と似ている…」

 

ちょっと何言ってるかわからないと思いますので、ひとつずつ説明しますね。

 

 

ちなみに、北陸新幹線「かがやき」で東京から2時間。めちゃくちゃ近い。

 

 

富山のここが長崎だった①自転車に乗れない街

 

今回降り立った富山はものすごい雪!

 

f:id:okfm_sdh:20180129235649j:plain

 

長崎人からは想像もつかない積雪。

 

そんな富山には、30分無料で乗れるシェアサイクルがありました。

 

でもこの滞在中で乗る機会はゼロ。

 

f:id:okfm_sdh:20180129235614j:plain

雪に埋もれるシェアサイクル

そりゃそうだ。

 

坂が多くて自転車に乗れないので有名な長崎と、雪が多くて乗れない富山。

 

この光景を見たとき、私の中で長崎と富山のシンクロが始まっていたのかもしれません。

 

 

富山のここが長崎だった②魚がスゴい

 

百聞は一見に如かず。むしろ、一舌に如かず。

 

f:id:okfm_sdh:20180130000602j:plain

 

のどぐろのお造り。

 

f:id:okfm_sdh:20180130000654j:plain

 

骨まですべて食べられるぶり大根。

 

これまで長崎の魚が一番だと思って生きてきましたが、この2種の魚に関しては完敗。カニやホタルイカも最高でした。

 

長崎にはアジとヒラメとヒラスがあるのでいいです。(あと、クエとアラカブ

 

なんにしても、魚がうまい街は最高です。

 

 

富山のここが長崎だった③路面電車がある

 

富山の街には3種類の路面電車が走っています。長崎と似ていますね。

 

f:id:okfm_sdh:20180130001211j:plain

 

ちなみに価格は、長崎が120円に対して富山は200円。

 

長崎の方が安いですね。

 

ただし、車両を見るとその理由がよくわかります。

 

f:id:okfm_sdh:20180130001457j:plain

 

新しい!

 

あと、雪が多いのでメンテナンスも大変そうですしね。

 

※ちなみに長崎電気軌道のウェブサイトを見に行ったら負けじと冬景色でした。

 

 

富山のここが長崎だった④グラバー邸がある

 

長崎の異国情緒を代表する名所のひとつ、グラバー邸

 

www.glover-garden.jp

 

が、

 

なんと富山にも!

 

f:id:okfm_sdh:20180130002025j:plain

 

 

富山は北陸の長崎だった。

 

ここまで長崎とシンクロしている富山。

 

長崎好きな方はせひ、訪れてみてはいかがでしょうか。

 

食に関しては間違いなく国内屈指の街でした。

 

f:id:okfm_sdh:20180130002522j:plain

 

 

 

 

 

本質は、「侮り」が見透かされひっくり返されている、ということ(安保法制からWELQまで)

リテラシーって言葉、大っ嫌いなんですよ!」

 

2週間ほど前、私の会社で開いた新メンバーの歓迎飲み会で、ある社員からこぼれたひとこと。

これを聞いたとき、私の中でしばらくもやもやとしていた、いろんなことがつながったような気がした。

 

そしてそれからなんとなくの思考整理を通過し、今文章として残しておくことを決めた。

 

 

WELQの問題はなぜ「悪いこと」として認識されたのか

 

今メディア業界、IT業界を中心に盛り上がっている、WELQ問題に端を発した、キュレーションメディア(どちらかというと、ちょっと前の「バイラルメディア」に近い語義な気もしている)のあり方を問い直す議論。

 

経緯や何が問題であるか、ということはたくさんのメディアやライター/ブロガーさんが指摘・考察している。私は「何が悪かったか」というより「なぜ“悪いこと”だと認識されたのか」ということについて考えていた。

 

私の結論は、「利用者を侮っていることが見透かされたから」というもの。 

 

 

「利用者を侮っている」ことを具体的に記そう。

 

 

インターネット上で情報を調べるとき、そこには利用者の何らかの「必要性」が発生している。

そのとき、求めている答えにたどり着くのが早ければ早いほど、便利なのは間違いないし、ゴミみたいな情報に行き当たってしまったときの不快感も同じだ。それが重要・緊急であればなおさら。

 

私自身も経験したことだが、子どもが深夜に急に体調を崩したとき、病院に連れていくべきか、救急車を呼ぶべきかなど判断し、適切な応急処置を知るために真っ先に頼りになるのは、やはりインターネットだ。

吐き続けている、苦しんでいる、何かを訴え続けている。そんなときの最適な初手を伝えようという志で情報提供をしている医師や、専門サイトはたくさん存在している。

 

それにも関わらず、検索して上位表示されるのは「~だそうです」「~と言われています」「~とのことです」だらけの記事ばかり。オイオイオイ、死ぬぞ。

 

自分たちのサービスを使ってくれるユーザーに対して、いったいどんな気持ちを持ってコンテンツをつくっていたのか。PV稼ぎ要員=広告価値を上げる糧としてしか見ていなかったのか。

 

 

WELQ炎上もヒラリー敗北も安保法制成立も、根は同じ

 

前置きが長くなってしまったが、ここから主題に戻る。

 

今回のWELQ炎上の件と、米大統領選でヒラリー氏が優勢と伝えられながら落選した件、昨年大規模なデモがありながら安保法制が成立していった件、どれも根底にあるものは同じなんじゃないか、というのが冒頭の「リテラシー嫌い」発言からたどり着いた、私の現在地だ。

 

WELQは「こうやっとけば検索したユーザー釣れるでしょ」という、Webリテラシー格差に基づいた、リテラシー弱者への侮り。

大統領選は「大手メディアがトランプの危険性を煽ってるんだから大衆は“賢明な判断”をするでしょ」という、政治リテラシー格差に基づいた、リテラシー弱者への侮り。

安保法制反対デモは「これだけ正しいことを言っているんだから、世間ももっと味方するでしょ」という、社会リテラシー格差に基づいた、リテラシー弱者への侮り。

 

そして、上に挙げた例はすべて、「侮り」ゆえの敗北を喫した。なぜならば、彼らが侮っていた「弱者」は、数の論理でいえば「強者」であり、彼らとは単に世の中を見る「ものさし」が違うだけだからだ。

 

そして、「リテラシー」とう言葉が象徴する強弱関係がひっくり返されるさまは、「弱者」とされた人たちによる静かな反撃のようだし、最高に民主主義的だと思う。

 

政治やビジネス(特にマーケティング)の場面において、特権意識を持った供給者による需要者への「侮り」が見透かされ、ひっくり返されていくこと。その結果として「利用者にとって本当に価値あるもの」がまっとうに成長していくなら、きっといいことだ。

 

もちろん、「数の論理」による過ちもあることだろうし、特定の意図によって一方的な方向に進んでいく危険性もある。だけれど、それも自分の選択に対してひとりひとりが責任を持つための、ひとつのプロセスなんじゃないだろうか。

 

まとまりのない文章となってしまったが、マーケティング/PRを生業にする者のひとりとして、自分自身にも染みついてしまっているであろう「侮り」という感覚への自戒を込めて。

 

 

※「リテラシー」という言葉に罪はないし、冒頭の社員が持つ「リテラシー」観が適切かどうかは別の話として。

【ハイパーリンクチャレンジ】2015年、私にもっとも衝撃を与えた記事 @ksarno3mh #HyperlinkChallenge2015 #孫まで届け

気づけば5ヶ月ぶりの更新となりました。

 

今日、「サイボウズ式」編集長の藤村さんとこれまた5ヶ月ぶりくらいにお話しする機会がありましたところ、タイトルのバトンを口頭でいただくという、Webメディアのアワードらしからぬフリをいただいたのでありがたく参加させていただく次第です。

 

このお祭りの概要はこちら。今年一番心に残った記事を他の方のモノ/自分のモノそれぞれ挙げる仕組みです。

togetter.com

 

 

ちなみに発起人のひとりでもある藤村さんのチョイスはこんな感じだそうです。

 

fzm.hatenablog.com

 

それでは僭越ながら。

 

2015年私にもっとも衝撃を与えた記事

 

完全にこのカメントツさんの記事。

ure.pia.co.jp

 

今年私は自分の会社で、戦後70年の”知らなかった”と出会う、というコンセプトの「70seeds」というWebメディアを始めたのですが、その構想を練っているときに出会ったのがこの記事でした。

 

戦時中や戦後の時代も、そこに生きている人たちは今と変わらないし、同じような「普通」があった、ということを記事を通じて伝えることで、身近なものとして目を向けてもらえるようにしていきたい、と考えていました。

 

そんなところにこの記事。

 

もう脳天をガツンとやられた感じでした。12年前に初めてNOFXの「bob」を聴いたときや10年前にヤングジャンプで初めて佐々木希を見たときくらいの衝撃。

 

「まじめなもの」「自分には関係ないもの」ではなく、時代を超える普遍性をエンタテインメントとして形にしているこの記事は、私の中で間違いなくもっとも印象に残ったコンテンツです。

 

自分が関わった記事

 

で、私が今年立ち上げた70seedsから、1つご紹介させていただくのは、こちらの記事。

 

www.70seeds.jp

 

キャンパスが隣り合う武蔵野美術大学と、朝鮮大学校の学生同士が、壁に橋を架け行き来できるようにする、というインスタレーションの制作ストーリーをインタビューしたこの記事は、4,000いいね!近くを集め、70seedsでもっともヒットした記事になりました。

 

この記事の中でもっとも印象深いのが、

今、自分の国は敗戦国だという意識とどんどん乖離していて、そういう風に大事な国の歴史をリアリティー持って引き受けられなくても、同世代で隔たりがありつつも一緒にいる仲間がいて、お互い身を開いて、対話をして、そこで得られるものには、今の同時代性のリアリティーがあると思うんです。

という制作した学生の言葉。

 

このあたりから、「ただ過去の意外な話を取り上げるのではなく、今の時代を生きる人にとってよりリアルに響く、“今の人”の想いやエピソードを取り上げていこう」という方針を明確に意識するようになっていきました。

 

そのような文脈だと、公開当時そこまでPVが伸びなかった以下のような記事も、本当はもっと読んでもらいたいコンテンツです。

 

原爆投下したB29の乗組員を祖父に持つアメリカ人の若者のインタビュー。

www.70seeds.jp

 

 

「ザワさん」で知られるマンガ家、三島衛里子先生へのインタビュー。

www.70seeds.jp

 

「戦後70年」が終わる来年以降、もっと世の中「を」投げかけるメディアの重要性は増していくのではないかと思っています。もっと、ハートに火が点くような。

 

 

バトンですが、知り合いの編集者諸兄にはすでに回っていることと存じますので、もしこれを見て書こうと思ってくださった方がいればぜひ、一緒にお祭りしましょう!

 

おしまい。

「戦後70年」が盛り上がってきているけれど、いつまで「戦後」が続くのかという話

昨日テレビを見ていたら「戦後70年」の特集番組をやっていた。

ファシリテーター池上彰さんが最後にコメントした「戦後80年、90年、100年と、ずっと“戦後”と言い続けられるように」という言葉からこのブログを書いている。

 

最近よく「もはや戦前」というような話を耳にするが、今が戦前だとしたら、戦前何年にあたるのだろうか。

5年か、10年か、それとも1、2年という可能性もあるのか。

 

今日、太平洋戦争中に広島・長崎両方への原爆投下機に搭乗した方の孫として知られるAri Beserさんと会い、「平和をつくるために必要なものは何だと思うか」という旨の質問を受けた。

Ariさんは現在、ナショナル・ジオグラフィック誌の寄稿のため日本に来て取材活動を重ねている。

広島・長崎と、福島での取材を通じて、上記の答えを導き出していきたいのだそうだ。

 

私自身、長崎にいた高校時代に、被爆者の声を世界に届けるための活動を始めたが、関東の大学に進学して多様なバックグラウンドを持つ人々の中に入っていったことで、ストレートな主張だけでは世の中に対して無力であることを知った。

ストレートな主張は、その主張が心地いい人の間でしか浸透していかないから、世の中を動かす声には、残念ながらなりえない。

それでは目的が達成できない。

 

それから私は、I LOVE CAMPAIGNNagasaki Archiveなど、より身近に、そしてよりフラットに「平和」を考えられる機会をつくることに取り組んできた。

 

だから、私からの上述のAriさんの質問に対する回答は「マスにとっての自分ごと化すること」だった。

 

とは言っても、「マス」の一言には無数の属性を持った人たちが含まれている。

そんな「マス」に対して、それぞれの興味範囲に合わせたかたちで「戦後70年」を調理して届けることはできないだろうか。

そう考えて今年立ち上げたのが70seedsだった。

 

「戦後70年の"知らなかった"と出会う」をコンセプトにしたこのメディアでは、アメ横の闇市時代の話を紹介したり、琉球ガラスの意外な由来を紹介したり、などの記事を配信している。

 

試行錯誤しながら進めてきたこのメディアも、気づけば記事数は50を超え、数万人が訪れてくれるサイトに育ってきた。

記事によっては数百から1000を超える「いいね!」がついているものもある。

夏に向けて「戦後70年」が盛り上がっていく中、70seedsにしかできないことと、70seedsにしか届けられない相手に届けることにこだわって着実に歩を進めていきたい。

 

いずれ、「戦後100年」をあたりまえのように迎えられるように。

 

 

 

「仕事を通じて"長期的イクメン"になろう」宣言

本日5月1日、第一子が生を受けました。

 

数時間の陣痛を経て産み落とした妻の苦労に比べれば、泣き声を聞いて「お、産まれたか」と腰を上げるだけの存在である父親とは、なんと気楽なものかとなんとも複雑な気持ちを、少しの罪悪感とともに感じたのも、初めての経験でした。

 

親になりたての私ですが、息子を目の前にして、一つ決意したことがあります。それは、「仕事を今以上に頑張ろう」ということです。

 

Story Design houseを立ち上げて1年あまり、「意志あるところに道をつくる」というコンセプトで事業を展開してきましたが、子どもが生まれることになってから、より強くしていたのは、「この子が大人になったとき、働きたいと思える仕事があるか」という思い。

 

せっかく生まれてきてくれた自分の子どもが、失望してしまわないような世の中にするため、様々な「生きる道」をつくりだすために、目の前の課題解決だけではなく、たくさんの「意志ある」ビジネスがビジョンを達成していくことで世の中をよりよくする「道づくり」に、さらに真摯に取り組んでいこう、そう思ったのでした。

 

イクメン」という言葉が世に出て久しいですが、自分の子どもやその先の子孫まで、「生まれてきてよかった」と思えるような社会にするための取り組みは仕事を通じてなし得るものならば、ただ家族との時間を大切にするだけではなく、仕事に打ち込むこともまた、長期的な視点での「イクメン」だと言えるでしょう。

 

親になったばかりの青臭い戯言かもしれませんが、これは、この日、私が胸に抱いた1つの「宣言」です。